2016年08月26日
「天皇陛下のお葬式」だなんて、畏れ多いと申しますか、
久しぶりにドキドキしながら書いてます。
先日、陛下がビデオメッセージで、その「お気持ち」を表明されましたが、
その中に天皇陛下のお葬式についての言及がありました。
このように仰っています。
天皇の終焉に当たっては,
重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,
その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。
「殯(もがり)」?、
葬儀でなくて「喪儀(そうぎ)」??、
葬儀屋さんとしては、やはり調べずにはいられない訳です。
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まず、天皇陛下の葬儀は、2つの儀式で形づくられます。
皇室が執り行う「大喪儀(たいそうぎ)」と
内閣が国葬として執行する「大喪の礼(たいそうのれい)」です。
少しわかりにくいので、
僕も記憶のある昭和天皇の崩御(ほうぎょ)の頃を思い出してみましょう。
昭和64年
1 / 7 崩御
拝訣(はいけつ)[遺された皇族が最期のお別れをする]
1 / 8 御舟(おふね)入りの儀[御遺体を棺に納める儀式=納棺]
1 / 9 斂棺の儀
1 /17 しん殿(しんでん)十日祭の儀
[しん殿とは棺が安置される部屋=当時は吹上御所一階の居間]
陵所(りょうしょ)地鎮祭の儀[埋葬まで御陵の準備]
1 /19 殯宮移御(ひんきゅういぎょ)の儀
[棺が吹上御所から皇居正殿の殯宮(棺を安置する仮の御殿)に移される]
連日 殯宮祗候(しこう)の儀
[斂葬(れんそう)までの約一ヶ月の間、昼夜途切れることなく誰かが付き添う]
1/20
-2/23 殯宮日供(にっく)の儀
1 /20 殯宮移御(いぎょ)後一日祭の儀
1 /21 殯宮礼拝の儀[皇族方による礼拝]
1 /22
-24 殯宮一般拝礼(はいれい)の儀
[国民が宮殿東庭から天皇に最後のお別れを申し上げる]
1 /25 外交団殯宮礼拝の儀
[日本に駐在する外交使節団による礼拝]
1 /26 殯宮二十日祭の儀
1 /31 追号奉告(ついごうほうこく)の儀
[天皇陛下が先帝に「昭和天皇」の追号を御奉告する]
2 / 5 殯宮三十日祭の儀
2 /15 殯宮四十日祭の儀
2 /23 斂葬前殯宮拝礼の儀
陵所祓除(りょうしょばつじょ)の儀[完成した御陵を祓う]
霊代奉安(たましろほうあん)の儀
[天皇の御霊代(みたましろ)を宮殿の表御座所(おもてござしょ)
「芳菊(ほうぎく)の間=天皇の御霊代を祀る権殿(ごんでん)」に奉安]
2 /24 斂葬当日殯宮祭の儀
轜車発引(じしゃはついん)の儀[棺を乗せた轜車(じしゃ)が皇居を出発]
斂葬(れんそう)の儀[一般の葬儀での本葬にあたる]
葬列が新宿御苑に到着
⇒棺が轜車から葱華輦(そうかれん)へ
[葱華輦=天皇が神事などでお使いになる御輿(みこし)]
⇒徒歩の葬列を組んで、葬場殿に到着
⇒葬場殿(そうじょうでん)の儀
[一般の葬儀での告別式にあたる]
⇒天皇による「御誄」(おんるい)を奏上
[一般の葬儀での弔辞にあたる]
⇒皇族方による礼拝
大喪の礼
小渕恵三(おぶち・けいぞう)内閣官房長官が開式
⇒黙祷(もくとう)
⇒竹下登(たけした・のぼる)内閣総理大臣以下
三権の長が弔辞(ちょうじ)
⇒外国元首以下参列者の拝礼
陵所(りょうしょ)の儀[棺が武蔵野御陵に納められる]
2 /25 斂葬後一日権殿祭の儀
権殿五十日祭の儀
斂葬後一日山陵祭の儀
山陵五十日祭の儀
2 /25 -
翌 1 /6 権殿日供の儀
山陵日供の儀
2 /27
-30 山陵一般参拝
4 /16 権殿百日祭の儀
山陵百日祭の儀
翌1 / 7 権殿一周年祭の儀
山陵一周年祭の儀
翌1 / 9 霊代奉遷(たましろほうせん)
[御霊代が宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)に移される]
青文字の部分が「大喪儀」にあたり、
赤文字が「大喪の礼」です。
実は、もっと多くの儀式で成り立っていますが、
書ききれない為、かなり省略していますm(_ _)m
より詳しく知りたい方は→コチラ
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上記の式次の中の、
1月7日崩御から2月23日までが、
ビデオメッセージで言うところの
『重い殯(もがり)の行事』 にあたります。
「大喪の礼」は2月24日の「斂葬(れんそう)の儀」と
「陵所(りょうしょ)の儀」に挟まれた形で行われます。
当時は、マスコミが大々的に報じていましたので、
憶えている方も多いのではないでしょうか。
そして、2月25日から翌年1月9日の霊代奉遷をもって、
「大喪儀」は締めくくられます。
ビデオメッセージで
『喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます』
と仰っているのはそういうことです。
上記の式次をすべて「大喪儀」としても良さそうですが、
わざわざ国の儀式=「大喪の礼」と、
皇室の儀式=「大喪儀」と区別するのは、
日本国憲法が政治と宗教を切り離すことを原則としているため、
国葬で神道の儀式を行うのは問題があるかも、
という配慮が働いたからだそうです。
実際、「葬場殿の儀」が終わり、
小渕恵三氏による「大喪の礼」開式の前には、
宗教色が無くなるよう、鳥居が取り払われました。
では、日本国憲法の施行前はどうだったのか?
勘の良い方ならお気付きでしょうが、
明治天皇と大正天皇の葬儀は
すべて「大喪儀」として行われました。
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ここで、めちゃくちゃザックリと陛下のお葬式と、
私たちのとを比べてみると(!?)、
「重い殯(もがり)の行事」というのが、
私たちのお葬式でいうところの「通夜」にあたります。
想像してみて下さい、2ヵ月間続く通夜を・・・。
陛下が「重い」と仰る意味が多少分かるのではないでしょうか。
それでも、飛鳥時代までは
ご遺体を殯宮に1年間安置していたそうですから、
これでも簡素化されたのですね。
「斂葬の儀」「大喪の礼」「陵所の儀」の部分が、
私たちの「葬儀・告別式」です。
明治天皇大喪儀
そして、「喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます」の部分が、
私たちの「法事(仏式)・霊祭(神式)」にあたります。
くり返しますが、あくまでザックリとした比較ですよ・・・(汗)
それにしても、
調べれば調べるほど、
天皇陛下のお葬式については奥が深いです。
深すぎるので、今回はこの辺で。
軽く調べただけにもかかわらず、
知らないことがいっぱいで、
目から鱗が落ちっぱなしでした。
あえてまとめてみますと、
1)天皇陛下のお葬式といえども、
時勢によって様々にカタチを変えてきた。
現在、陛下の葬儀は神道式で執り行われますが、
江戸時代末までは、仏教式で行われ、
京都の泉涌寺(せんにゅうじ)は皇室の菩提寺とも呼ばれています。
また、今上天皇は火葬を希望されているというニュースもありますが、
宮内庁によると歴代の天皇陛下のうち
土葬でなく、火葬された天皇は41人だそうです。
必ずしも「天皇=土葬」という訳ではないのです。
今上天皇は初代神武天皇から数えて125代目ですが、
これほど代を重ねてこられたのは、
時勢に合わせられる「しなやかさ」があったということだと思います。
2)陛下のお葬式が「伝統」となり、
国民のお葬式をカタチ作ってきた。
普段、天皇陛下や皇室のことを意識していなくとも、
その影響は実は大きいです。
正式書類ではいまだに元号を使っていますし、
「ロイヤルマナー本」なるものがあることを見ると、
皇室の所作をマナーのお手本にする方も多いのでしょう。
そもそも、上記のように、
陛下のお葬式と私たちのとを比較できること自体、
私たちがその様式を取り入れているからとも考えられます。
ところで、
「なぜお葬式をするのか?」
「葬式は必要でしょうか?」
と尋ねられることが、近ごろ増えてきました。
その都度、様々なお答えを用意するのですが、
単刀直入に、
「天皇陛下もお葬式をなさるので、
お葬式は必要です」
という答えもあるのではないかと、
今回のブログを書いていて思いました。
が、どうでしょう・・・?
ひらた
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