好評開催中の『春の供養祭』
ご来店いただいた皆さま、ありがとうございます。

4日目開始4日目の図

4/17(月)にはお坊さんをお招きして、供養していただきます。

などと、何度も“供養”“供養”と書いてますが、
そもそも供養とは何をすることなのか?

改めて考えてみました。


それは古財布の処分から始まった・・・

今年の初め、新年の抱負などを考えながら、
「とりあえず身の周りのモノを新調してゆこう」と
新しい財布を購入しました。
そこで、はたと古い財布をどう処分するのか?
少し困った次第です。

3年ほど身に着けていたモノですから、
愛着も生まれており、
ゴミ箱にポイ捨てするのは、
申し訳ない気持ちになった訳です。

「今までありがとう」という感謝と、
「ポイ捨てなど粗末に扱ったら、新しい財布にお金がたまらないかも」と
いうちょっとした不安が
6:4くらいで入り混じった気持ちです。

色々と検索した結果、
半紙に包んで、海の近くまで捨てに行きました。
今から思うと、これも立派な「モノ供養」ですね。
開催中の人形供養や、針供養、ハサミ供養などの一種です。
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日本古来の供養とは・・・

日本で「供養」というと、祖先崇拝(そせんすうはい)を元にした、
死者や祖先への供養が挙げられます。

故人の霊が徐々に浄化され、先祖たちの霊と一体化「祖霊」となり、
私たちを守ってくれるという考え方です。
そして、霊の浄化に必要なのが、
「故人のあの世での幸福(=冥福)を祈る」という行為、
つまり「供養」なのです。


ただ、それを怠ると、死者の霊は悪霊となって災いをもたらすとも信じられていました。

非科学的と笑うことはたやすいですが、
財布の処分ひとつで頭を悩ませた僕には笑えないです(;^_^A

流行り病いや、飢饉、天災など人間の力が及ばない災いにより、
つねに生命が脅かされていたであろう私たちの先代にとって、
先祖の霊や、神さま、仏さまに祈りの捧げることは、
僕の財布供養より100万倍は必死だったはずです。

その必死さが、「祈り」をより効率的に届けるにはどうしたらよいか?という
試行錯誤を生み、徐々に洗練された「供養」体系へと結晶するに至りました。

そして同時に、祈りのプロ(!?)である「宗教」とも結びついていったのだと思います。
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仏教における供養とは・・・

日本で「宗教」を考える場合、まずは神道が挙がりますが、
【春の供養祭】ではお寺さまにお越しいただく手前、
今回は神道を割愛し、仏教についてのみ調べてみました<(_ _)>

まずは、
『良いこと』をすると、『良い結果』が返ってくる
という考えが仏教にはあります。


これは「そうだといいなぁ」という願望も含めて、
私たちの日常感覚として納得できる考えですよね。

また『良いこと』を積み重ねると、
『良い結果』は何倍にもなって返ってくるという性質があります。
ただし、すぐに自分に返ってくることもあれば、
自分の家族や子孫、はたまた来世の自分に返ってくるといった、
行き先が定まらないという性質もあります。

良い行いをしてそのご利益を授かることを、
仏教では「功徳(くどく)」と呼びます。


単純に【功徳=ご利益】とする辞書もありました。
確かに、すぐに良い結果を得られたなら「ご利益」なのですが、
調べてみた僕の印象では、
「功徳」とは良い結果を授かる【権利】がマイレージのように貯まってゆくようなイメージです。

本来「功徳」は善行を施した本人に備わるものですが、
仏教には、その「功徳」を他者や故人に分け与える
「回向(えこう)」というスゴい技法(スキル)があるのです。


お葬式や法要の最後には、
しばしば回向文(えこうもん)が読み上げられるのですが、
こんな感じです(宗派によって変わりますが…)

願以此功徳 がんにしくどく
普及於一切 ふぎゅうおういっさい
我等與衆生 がとうよしゅじょう
皆共成佛道 かいぐじょうぶつどう


現代語訳すると、 
願わくは私の行った善い行いの果報が、
この世のありとあらゆる存在すべてに行きわたり、
自分を含めたすべての人々と生きとし生けるものとが、
皆と共にあらゆるものに対しての慈しみの心を持ちつつ自らが勤め励む道を日々たえまなく進んでいきますように


つまり、仏教における供養の儀式とは、
仏さまにお経や供物を捧げる善行を行い、
そこで得た功徳を、故人へと回向することで、
故人に良い事が起こるよう祈ること
なのです。
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私は宗教とか信じてないけど・・・

一時、『寺院消滅』という本が話題になりました。

高齢化や過疎化の影響で、檀家が減り、
地方の寺院は経営が立ち行かなくなってきた。
そのせいで、住職の跡継ぎもいない。
一方、若い世代の間では、
葬儀は無宗教で行い、お墓もいらない、
散骨で十分という宗教離れも進んでいる。

そんな内容です。


日本人の宗教離れは今後も進んでゆくでしょうし、
それはそれで、時代の流れなのかもしれません。

ただ、葬儀屋さんとして気になるのは、
宗教色を嫌って、無宗教で葬儀を行った人ほど、
葬儀の後、故人の弔い方に悩む場合が多いこと
です。

「初七日(あるいは満中陰)法要はしたい」
 ←それ、仏教儀式です
「線香・ローソクを絶やしたらバチが当たりませんか?」
 ←お香を供えるのも仏教作法です

無宗教で葬儀を行ったとしても、
上のような問い合わせはとても多く、皆さん悩んでます。

そう考えると、無宗教・無信仰を自称する人の方が、
案外、「バチ」「縁起」といった宗教的なことを
気にしているのかもしれません。

宗教離れが進んでも、故人を弔う気持ちがあれば、
「供養」は無くならないと思います。
しかし、そのあり方は、各家族・各個人が自分たちに合った方法を
試行錯誤して見つけてゆかなくてはなりません。


もし「自分なりの供養」が見つけられないのであれば、
祈りのプロであるお寺や神社に任せてみることをお勧めします。

幸い、日本中に寺院・神社はたくさんありますからね。
その際は、あわてずに、ご住職や神主さんとお話しをして、
その人柄を見てから決めると良いと思いますよ。
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最後に・・・

お恥ずかしい話、葬儀屋さんになるまでは、
お寺と神社の違いもよく分かってなかったですし、
自分の家の宗派も知りませんでした・・・(゚_゚i)タラー・・・

「宗教離れがうんぬんかんぬん」と書きながら、
宗教とは無縁な生活を送っていた訳ですね。

とはいえ、
小学生だった頃、毎年の夏の楽しみは、
お盆に父方の実家に家族で帰省することでした。
正直、
墓参りと、檀那寺での法事は面倒くさかったですが、
実家には、叔父、叔母、いとこも集結して、
総勢30名くらいでワイワイと楽しく過ごしたことを、
とてもよく覚えています。懐かしいですね。

これぞ、「日本の夏」!
【お盆に墓参りと盆法要】なんて、完全に宗教行為ですが、
本人はそれと知らずに参加して、
大人になって初めてその意味を知った次第です。

普段は遠方に住んでるおじさん・おばさんと一つの卓を囲んだり、
お寺では大人が皆正座している姿は、
自分にとっては夏の原風景の一つになっており、
法事が情操教育になってるんだろうなぁと思います。

そう考えると、宗教の形式にのっとって、
供養を行うことは、もっと見直されても良いのでは?
と思う今日この頃です。(参考記事:めんどうな法事
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PS
仏教の解説は、ききかじりの上、かなりの超訳が入っています。
明らかな間違いなど、ご教示いただけると幸いです。



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